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横浜地方裁判所 昭和43年(わ)1384号 判決 1970年6月22日

被告人 デイビツト・エツチ・ボールデン

一九三九・一一・二四生 米海兵隊幹部軍曹

主文

被告人を禁錮八月に処する。

但しこの裁判の確定した日から三年間、右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、証人古川佳子に支給の分、証人今出昭三に支給の昭和四五年二月六日第六回公判期日に出頭の分および通訳人逸見益宏に支給の昭和四四年一〇月二九日在日米海軍横須賀基地における証人尋問期日に出頭の分を除き、その余はすべて被告人の負担とする。

本件公訴事実中道路交通法違反の点について被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、在日米海軍上瀬谷通信保安部隊海兵大隊E中隊に所属する米海兵隊幹部軍曹で自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四三年九月一四日午前四時五〇分ころ、横浜市中区麦田町一丁目一七番地先道路を普通乗用自動車(横浜三K一六一七号)を運転して桜木町方面から小港方面に向かい時速約五〇キロメートルで進行したところ、同所は右道路が左曲線より直線の山手隧道(通称麦田トンネル)に入る場所であり、しかも当時雨天であるのみならず未だ夜明け前で、街灯の明りがあるのみであるため、見通しが悪かつたのであるから、このような場合運転者としては、特に的確なハンドル操作を行なつて自己の通行する車線を厳守し、もつて衝突等による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、道路中央線を右に越えた過失により、折柄対向車線を進行してきた古我知章(当時二〇年)運転の普通貨物自動車右前部に自車右前部を衝突させ、よつて同人に加療約二ヶ月間を要する左手根骨、撓骨々折、右下腿挫創、挫傷等の傷害を負わせたほか、同人の右車輛に同乗していた井上速雄(当時五一年)に加療約三ヶ月間を要する右股関節脱臼骨折、右撓骨々折、右第三、第四肪骨々折等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により犯情の重い井上速雄に対する業務上過失傷害罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、所定刑期の範囲内で被告人を禁錮八月に処し、刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により、主文第三項掲記のとおりこれを被告人に負担させることとする。

(一部無罪の理由)

一、本件公訴事実中道路交通法違反の点は、

「被告人は、血液一ミリリツトルにつき二・一ミリグラムのアルコールを身体に保有し、その影響により正常な運転ができないおそれのある状態で、判示日時、場所において判示乗用自動車を運転した」

というにある。

二、よつて検討するに、まず道路交通法六五条、一一七条の二第一号、同法施行令二六条の二により、右道路交通法違反として処罰される場合(以下「酒酔い運転」と称す)とは、第一に身体に血液一ミリリツトルにつき〇・五ミリグラム以上又は呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコール(以下「法定アルコール保有濃度」と称す)を保有する者が、第二に右アルコールの影響により車両等の正常な運転ができないおそれのある状態で車両を運転した場合であることは明らかであるが、法が右第一の要件すなわち法定アルコール保有濃度を数値で定めた趣旨は、これによつて、酒酔いの判定が判定者の主観によつて左右されることを防止すると共に、科学的実験の結果によれば、身体のアルコール保有量が右法定アルコール保有濃度を下まわる場合には、通常殆んど無症状であり、車両等の運転に影響を及ぼすことが少ないことを考慮に入れ、酒酔い運転として処罰するために最低限度右基準量以上であることを要求したものと解されるので、その認定は、如上の立法の趣旨に徴しても、またその飲酒者への影響の表われ方が個人により多少の相違がありうることからしても、科学的検定の結果によることが望ましい。しかしながら他面、現行の刑事訴訟手続は、自由心証主義を基調としており、前記道路交通法の規定も、身体中のアルコール保有濃度認定の資料を限定する趣旨であるとは解し難いので、飲酒者の外観、例えば顔面の色、話しぶり、挙動、ハンドル操作、歩行状況等や、その者の飲酒量とその経過時間、平素の飲酒量との比較、等々を総合判断して、経験則上明らかにアルコールの保有量が右法定アルコール保有濃度の基準を越えていると認められるときは、必ずしもその科学的検定の結果をまつことを要しないものと解するのが相当である。

三、そこで本件について検討するに、

1  被告人の本件犯行当時の身体のアルコール保有濃度につき科学的検定の結果を示すものとして、第三回公判調書中の証人古川佳子の供述部分があるが、同証拠のうち右の科学的検定の結果に関する部分の証拠能力は左記の理由により認められないので、これを排除する。

(一) 第二回公判調書中証人ローマン・ビー・ルコフスキーの供述部分、第三回公判調書中証人古川佳子の供述部分(右排除部分を除く)、第六回公判調書中、証人今出昭三および被告人の各供述部分、ならびに証人ステイーブン・ウイルフレツド・オドリスコルに対する受命裁判官の尋問調書を総合すれば、次の事実が認められる。

被告人は本件事故を起して負傷し、その治療のためただちに在日米海軍横須賀基地病院に運ばれ、同病院で治療を受けたが、一方連絡を受けて捜査のため事故現場に着いた山手警察署交通係長今出昭三は、右現場に居合わせた人から被告人が飲酒している旨聞いたが、既に被告人は右治療のため連れ去られた後だつたので、右事故の調査のために来ていた横浜の米海軍憲兵隊(S.P.)本部事故調査官リチヤード・アラバツクに対し飲酒検知管によつて被告人の身体アルコール保有濃度を調査するよう依頼したこと。その結果、右病院において、同病院に勤務する米海軍二等衛生兵曹ステイーブン・ウイルフレツド・オドリスコルが犯罪捜査のために被告人の血液一四ミリリツトルを採血し、その血液が在日米軍医学総合研究所に運ばれ、同研究所毒物学研究室において同研究室勤務の検査技師古川佳子が同血液中のアルコール濃度を調べ、その検査結果に基き、同研究所の化学部長ローマン・ルコフスキーが昭和四三年九月二〇日、酒気毒物検査報告書を作成し、右報告書が前記山手警察署交通係長今出昭三宛に送付され、右報告書が検察官より本件の証拠として証拠調の請求がなされたこと。(以下ここに述べると同様の理由で、右証拠調の請求が却下されたことは本件記録上明らかである)

(二) 本件の場合、右認定した如く、被告人より血液を採取するにあたり、何等裁判官の発する令状を求めなかつたことは明らかであり、更に、右採血の際、被告人にこれを拒否する権利のあることが告知されたことおよびそのうえで右採血について被告人の明示ないし黙示の承諾があつたことを認めるに足りる証拠はない。

(三) ところで、憲法三一条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と宣言し、刑事訴訟法一条は「この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。」と規定しており、刑事裁判における実体的真実発見の要請も、捜査および公判の過程を通じて被告人等の基本的人権の保障、換言すれば適正手続の保障を全うしつつ実現されるべきものであるから、少くともその収集手続に重大な違法の存する証拠は、その証拠価値への影響の有無を問わず、証拠能力を有しないものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、本件採血行為は、前記認定の経緯に徴すると、日本国の捜査官が、犯罪捜査のために米軍の捜査官に被告人の身体に保有するアルコール濃度の検定を依頼し、米軍側が「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」一七条6、(a)の規定に基づき、犯罪捜査の援助行為としてなされたものであると解せられるので、単なる私人の行為と異なり、捜査行為としてなされたものと解せられるところ、採血行為がそれ自体人身に対する傷害を伴う強度の行為であるにもかかわらず、右採血行為が法定の令状に基づいてなされたものではなく、また任意捜査とみるとしても被告人の承諾があつたことを認めるに足りる証拠のないことは前叙のとおりであるから、本件採血行為は、いわゆる令状主義に反して、重大な手続違背を犯してなされたものとの疑があるものといわざるを得ない。

従つて右の採血結果を基礎に供述されている第三回公判調書中の証人古川佳子の、被告人の本件犯行当時の身体のアルコール保有濃度に関する供述部分は、証拠能力を有しないものであるといわざるを得ない。

2  そこで他に被告人が本件事故当時、その身体に法定濃度以上のアルコールを保有していたことを示す証拠があるか否かを検討するに、被告人の当公判廷における供述、第六回公判調書中証人松本勝夫、同今出昭三および被告人の各供述部分ならびに被告人の検察官に対する供述調書を総合すれば、

(一) 被告人が昭和四三年九月一三日午後一一時四〇分ころより翌一四日午前三時過ぎ頃までの間にウイスキーコーク一杯、ビール(小びん)一、二本位を飲酒したこと(被告人は普段はパーテイー等で飲酒するのみであるが、かつてビール四、五本を飲んだことはあるが、酔いのため判らなくなるようなことはないこと。)

(二) 被告人が本件事故の直前、すなわち本件事故現場の手前約一〇〇メートル附近(横浜市中区元町交叉点の手前二、三〇メートル)より蛇行運転をしていたこと

(三) 本件事故の直後、被告人の運転していた普通乗用自動車内にアルコールの匂いが残つていたこと

は認めることができるが、しかし右(一)の飲酒は本件事故の数時間前で、かつ、少量であり、しかも本件事故時およびその直前、直後における被告人の外観、動作等についての適確な証拠はなにもなく、右(二)の蛇行運転も、一義的に酒酔いによるものであるとはにわかに断じ難く、右(三)のアルコールの匂いも、前掲各証拠によれば本件事故前に被告人以外の者も同乗して共に飲み歩いていることおよび当時被告人の車輛内に酒類の瓶がころがつていたことが認められるので、右匂いが被告人の発散したもののみであると認めることもできない。従つて、右に認定される事実のみでは、本件犯行当時の被告人の身体のアルコール保有濃度が、明らかに法定アルコール保有濃度を越えていたと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  以上のとおりであるから、本件公訴事実中、道路交通法違反の点については、その余の点につき判断するまでもなく犯罪の証明がないから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対しこの点について無罪の言渡をする。

(業務上過失傷害の主たる訴因についての判断)

本件公訴事実中業務上過失傷害の主たる訴因は、本件起訴状に記載された公訴事実第一のとおりであるが、本件の各証拠によるも本件事故当時被告人が酒酔いのため車両の正常な運転が困難な状態にあつたことを認めるに足りる何等の証拠がなく、右訴因については結局犯罪の証明がない。

よつて、主文のとおり判決する。

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